IT事業を区内で立ち上げて6年になります。政府は「女性の活躍」を推奨してきましたが、〝ガラスの天井〟はまだまだ厚いと痛感します。政治や職場、家庭でも地域でも、今後さまざまな意思決定の場でいっそうの女性と母親の参画が期待されます。
説さん家族とは保育園への送迎や季節行事の折、子どもたちと楽しそうにかかわる姿を拝見してきました。子どもが、障害者が、あらゆるマイノリティーが自分らしく暮らせる・・笑顔の絶えない街づくりをここ練馬で説さんと一緒に取り組んでいけたらと思います。
わたしが比較的廉価で開講している子ども向けプログラミング教室は、経済格差からくる教育機会の不平等を、少しでも是正したいという思いから始めた事業です。プログラミングが義務教育で必修化されるなか、子どもたちの将来に微力ながら貢献できればと考えています。



2018年末、同居していた兄が他界しました。それまで、なんとか二人でやってきた生活は苦しくなり、豊玉のアパートからも出ていかねばならなくなりました。私は地域の共産党の友人に相談し、野村さんを紹介してもらいました。

パパ友です。ともに練馬の保育運動にかかわってきました。説さんは、子どもたちへの愛情あふれたナイスガイ。熱いハートとクールな頭脳で、誰もが安心して出産・子育てできる保育行政の実現に腐心してきました。

毎朝の保育園への送りとお風呂は説パパのお務め。労働者の深夜残業が社会問題になったときに、練馬駅前の宣伝で「夜は愛しあう時間!」とスピーチをした説さん。家族を大切にする彼らしいフレーズでした。

「arm’s length(アームズ・レングス)」という考え方があります。行政のあり方として、文化・芸術に「カネは出しても、口は出さない」という意味です。独立した自由な創作活動を長期的・持続的に保障し、だれもが文芸に親しみ、豊かな人間性をはぐくむための礎です。

自宅のある埼玉県所沢市から東京都練馬区まで毎月3回、10キロのアコーディオンを担いで通っています。「うたごえ」をこよなく愛するわたしを、野村さんに取材していただいたのが最初の出会いでした。2010年の夏のことです。

自身の性に違和感おぼえたのは思春期のころ。好意をもった相手の性別に戸惑ったのを覚えています。「普通」への同調圧力と異性愛以外の者に不寛容な社会。家族や友人と一緒にいる時でさえ、そのなかで苦しさにもだえ、いままで息をひそめて生きてきました。

保育士になって15年。勤務条件の劣悪さから、これまで数えきれないほどの同僚が保育の現場を離れていった。専門職として小さな命の発達に向き合い、これほど神経をすり減らしているにもかかわらず・・いまだ「子どもと遊ぶ仕事でしょ」みたいな、傷つく誤解もある。

高齢出産が社会問題化する一方、望まない妊娠・出産を経験する未成年や若年層は依然として後を絶ちません。セックスと避妊にかかわる知識、身をまもる社会福祉を知らない多くが貧困と密接です。現場で感じるのは、女性がいまでも圧倒的な社会的弱者だということ。

東エルサレムのシェイク・ジャラで毎週末、占領や入植への抗議デモをしています。2015年春、イスラエル国政選挙の現地取材にひとりで来ていた説っちゃんが偶然そのデモを目にとめ、車から降りて陽気な英語で話しかけてきたのです。すぐに仲良くなりました。