「Think Globally, Act Locally」‥説さんほどこの言葉がぴったり当てはまる人も珍しい。世界でもっとも過酷な紛争地といえるパレスチナに新聞記者として心を寄せ、弱者の声を届ける仕事をしてきた経験は、練馬区議としての活躍においても同様につながっています。
国でも自治体でも強きものに対抗し、政治を変えていくためには立憲野党と市民がしっかり手をつなぐことが必要です。説さんが日本共産党の練馬区議としてその動きに大変熱心にかかわっていることを私はよく知っています。練馬から政治を変えましょう。ひきつづき期待しています。



説っちゃんは2022年春の区長選挙を一緒にたたかった仲間。「政治は困っている人のために」の思いをわたし以上に持っています。すてきな笑顔の奥には強い信念があり、練馬区議会になくてはならない存在です。おおくの人が説っちゃんの仕事に感謝している話を色々なところで耳にしています。

練馬大根役者の伊原です(笑)。わが家では親しみを込めて「ノムラセツ」と呼びます。「きょうノムラセツに会った」「さっきノムラセツと話した」と、家族の会話にたびたび登場します。それだけ地域を駆けまわり、区民のために奔走しているのだと思います。

野村さんは同世代だけど、「気軽に話しかけられるお兄さん」という印象。でも、その気さくさからは想像できない経歴をお持ちで、長距離トラックや大型トレーラー運転手、海外での就労経験もあって新聞記者も10年してきた。なんと経験豊富な区議さん。あつかうテーマも地域の課題が多くて、それも区民の声をよく聞いているからこそだと思います。

2022年春、わたしは勤めていた飲食業をパワハラで失職しました。たくわえも尽きかけた頃、地域で困窮者支援をする「練馬あったかフードバンク」とつながり、野村議員を紹介してもらいました。議員さんと話すことなど一生ないと思っていましたが、行政の相談窓口にも同行してくださり心強かったです。ひとりひとりに寄り添い、行動してくれる野村さんは地元に本当に必要な区議さんです。

ご主人が末期ガンをわずらう友人家族がいました。仕事ができなくなり、小学生のふたごの娘を抱えて途方に暮れているところ説さんと出会うことができました。何度も会って話を聞いてくださり、行政窓口では隣にすわってくれました。本当に親身になって行動してくれたことを忘れません。すばらしい議員さんです。

名古屋港を拠点に6年、ともに海上コンテナを積んだ大型トレーラーを引っ張りました。四季を五感で味わえるのは現場労働者の醍醐味です。深夜の運転、眠たいときや孤独なときも、どこかで同様にハンドルを握ってくれている運転手仲間は、こころづよい。

やさしくて元気がよくて、たくさんの情熱を持っていて誠実な説さんです。最初に会ったときから、これまでの「政治家」さんの印象とは違っていました。わたしは結婚、出産、育児をしながら練馬区に20年住んでいますが、子育て真っ最中の同世代の友人としても説さんを応援します。

初めての出会いは2014年夏でした。当時、パレスチナ自治区ガザはイスラエルによる無差別爆撃によって多くの民間人を含む死傷者がでており、それにかかわるインタビュー取材を野村さんから受けたことがきっかけです。

いのちを支え、環境を守ってきた農業の担い手がこの20年で240万人から136万人に減少し、それとともに農地の荒廃が広がりました。食料自給率は37%まで落ち込み、コロナ危機を経て食べものを海外に依存する危うさも浮き彫りになりました。