名古屋港を拠点に6年、ともに海上コンテナを積んだ大型トレーラーを引っ張りました。四季を五感で味わえるのは現場労働者の醍醐味です。深夜の運転、眠たいときや孤独なときも、どこかで同様にハンドルを握ってくれている運転手仲間は、こころづよい。
説は、話し相手であり、グチを吐ける相手であり、時には真面目な話もできる数少ない後輩でした。最初は「大学を出て、どうして運転手なの」と思いましたが、どんな仕事にも優劣をつけず、シャバにうまく馴染めない連中とも自然に打ち解けていました。
汗水たらし、体を使って稼いだ現場経験はどこに行っても通用します。高学歴の金持ちだけが社会全体の利益を独占しているのはおかしい。矛盾を感じつつも、うまく表現することのできない底辺の者たちの代弁者になってくれたらと、期待しています。



初めての出会いは2014年夏でした。当時、パレスチナ自治区ガザはイスラエルによる無差別爆撃によって多くの民間人を含む死傷者がでており、それにかかわるインタビュー取材を野村さんから受けたことがきっかけです。

IT事業を区内で立ち上げて6年になります。政府は「女性の活躍」を推奨してきましたが、〝ガラスの天井〟はまだまだ厚いと痛感します。政治や職場、家庭でも地域でも、今後さまざまな意思決定の場でいっそうの女性と母親の参画が期待されます。

2018年末、同居していた兄が他界しました。それまで、なんとか二人でやってきた生活は苦しくなり、豊玉のアパートからも出ていかねばならなくなりました。私は地域の共産党の友人に相談し、野村さんを紹介してもらいました。

パパ友です。ともに練馬の保育運動にかかわってきました。説さんは、子どもたちへの愛情あふれたナイスガイ。熱いハートとクールな頭脳で、誰もが安心して出産・子育てできる保育行政の実現に腐心してきました。

毎朝の保育園への送りとお風呂は説パパのお務め。労働者の深夜残業が社会問題になったときに、練馬駅前の宣伝で「夜は愛しあう時間!」とスピーチをした説さん。家族を大切にする彼らしいフレーズでした。

「arm’s length(アームズ・レングス)」という考え方があります。行政のあり方として、文化・芸術に「カネは出しても、口は出さない」という意味です。独立した自由な創作活動を長期的・持続的に保障し、だれもが文芸に親しみ、豊かな人間性をはぐくむための礎です。

自宅のある埼玉県所沢市から東京都練馬区まで毎月3回、10キロのアコーディオンを担いで通っています。「うたごえ」をこよなく愛するわたしを、野村さんに取材していただいたのが最初の出会いでした。2010年の夏のことです。