プロフィール

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1975年3月1日生まれ。愛知県刈谷市出身
4人兄妹の長男。妹が3人います。
「説」は父・武文が私淑する教育評論家・羽仁説子にちなみます。
小学校高学年くらいから学校が苦手でしたが、「図工」だけは楽しく「夏休みの工作」ではたびたび入賞していました。
高校1年からガソリンスタンドで働きはじめ、危険物取扱免許(乙種第4類)を取得。
祖父母は満蒙開拓団からの引き揚げ後、豆腐屋を開業。父は中国東北部の「満州」で出生していますが、長兄を敗戦の年に栄養失調で亡くしました。

愛媛大学農学部卒業(1997年)
食料自給率の低さを憂え、農家になりたくて農学部を選んだものの、ひきつづき学校には苦手意識が。
男子のみの「拓翠寮」で生活。上下関係に厳格な気風でした。アジアからの留学生も多く4年間、寮生同士で自炊しながらひとつ屋根の下で暮らしました。
居酒屋、ミカン狩りなど、絶えずアルバイトをしていました。
長距離トラック→大型レーラー(海上コンテナ)運転手を6年
工学部で学んでいた友人の影響でトラック運転手に。
名古屋を拠点に4tロングで東北から九州まで走りました。毎日、数時間の車中仮眠、手積み手おろしも重労働でした。
深夜の高速道路で重大事故にたびたび遭遇し、命と引き換えに経済大国の流通を下支えする働き方に矛盾を感じました。
海上コンテナを積載するトレーラーは総重量で数十トン、全長約18メートル。雪の山道は台車が横滑りし、脱輪や転落の危険に神経をすり減らしました。
日本共産党入党(2000年)
10代からの「赤旗」読者。世界観の基礎を「赤旗」から教わりました。
社会変革や人間の幸福、貧困や格差や差別の是正に自覚的にかかわって生きていきたいという思いに答えてくれたのが、日本共産党でした。25歳の誕生日でした。
カナダ、オーストラリアで働きながら約4年間滞在
トラック運転手に不満はなかったのですが、なんとなく手詰まり感があった20代後半。最初は気分転換くらいの渡航でしたが、自身を振りかえるチャンスになりました。
数カ月ホームステイしたあとは途上国からの出稼ぎ労働者、母国を追われた貧しい人たちと一緒に生活。レストランの給仕や清掃の仕事で生活費を得ていました。
「しんぶん赤旗」記者10年。国会、中東アラブなど内外を取材
戦争法(2015年)、共謀罪(2017年)を強行した安倍政権下で国会取材団。議会とともに官邸・国会を包囲した、空前の国民運動を取材。
国際面を担当する外信部ではパレスチナ自治区やイスラエル、仏パリ郊外で開催された国連環境会議(COP21)に出張。福島第一原発事故のあった2011年末には、オーストラリア北部でウラン採掘による放射性被害に苦しむ先住民(アボリジニ)を現地取材。

2018年4月の補欠選挙で区議会へ
欠員5人に立候補10人の大激戦。2万2758票をいただき3位当選。
とや英津子議員のあとを引き継ぎ、区議団を5人→6人に回復しました。
同日に行われた区長選では、日本共産党の前都議・松村友昭氏が善戦・健闘しました。

妻と娘(6歳)、息子(4歳)、娘(2歳)、義父母姉と早宮3丁目に在住。


趣味は水泳、ハイキング、読書